こういう老後になるとは思わなかった

「今をしっかり生きる」を心して。

老後は自由に生きろと言われても、置かれた環境が変わる訳でもなし。

こんばんは。
今夜もこの調子では
食事が遅くなりそうです。


  
写真がないので知人から送っていただいた河津桜。
京都の淀城横水路だとか。きれいですね。



昨夜はパックのご飯も底をつき
ご飯の代わりにお芋さんを食べました。
今日はさすがに
これではいけないと思って
お昼に2合炊きました。


COOPの申込みをしていないので
今週はお仏壇の花しか届きません。
お野菜がなくなって来ました。
昨日湯がいたキャベツが頼りです。


ご近所のコミュニティで
「兄さんどうなった?」
と聞かれたので、
晩ご飯を食べようとしたら兄が
「飯が不味い!お前は何でそんなに性格が悪いねん!」
と怒鳴りまくって
次の朝から自分の家に戻った話をしたら
「変わってるね!」
と一人の人に言われました。
「変わってるって誰が?」
「二人ともやん。」
「え!私も変わってるの?何で!?」


何で私が変わってるねん!
訳分らん…と思ったので
その訳を聞いてみると
「普通はきょうだいは助け合うもんや。」
と言われました。
それでネットを検索してみました。
やっぱり世の中には
同じ境遇の人がワンサカおられますね。
参考になりました。


人それぞれ事情は違いますが
自分で結婚しない生活を選択し
自分の意思で1円も貯金しないでいる人間が
健康管理もしないで
親が同じというだけの理由で
高齢になって身体が悪くなって
どうにもならなくなったら
きょうだいに面倒を看ろと言うのは
何か違うと思うのです。
また転がり込んで来たら
今まで通り普通に
私がやれる事はしますが
強制される事には抵抗があります。
30年以上別に暮らして来て
扶養義務があると言われても
何だかなぁ。


息子にも言いましたが
私にとって兄は
道端で倒れている人と同じなのです。
人が倒れて困っておられたら
自分が出来る事は惜しまずします。


こんな事を言っていても
亡くなったら
またひとつ十字架が増えて
自分を責めてしまうのだと
分っているのですが…
透析の事も気になっているのですが
「どうしてる?」
と電話をかける気にはなれません。
そうは言っても
息子の結婚式があるので
来週くらいにはかけようと
思ってはいます。
あ~あ、あ。


さあ、晩ご飯作ろっと。