こういう老後になるとは思わなかった

「今をしっかり生きる」を心して。

なんとか苦境、乗り越えられました。

こんばんは。
正月早々、兄の対応で
ブルーな気分で過ごしておりましたが
何とか希望の光が射して来ました。
もしかして、良い年になるかも。



1月1日は朝から兄の電話。
「動けない。身体が痛い。」
と情けない声で言います。
私は実は誕生日で
正月で、誕生日で、これか!
と思って冷たくあしらったら
東京から奈良に帰省していた
幼なじみのむすめさんに
助けを求めたようです。
車で病院へ連れて行ってくれました。
検査途中で私が交代して
帰ってもらったのですが
近くで待機してくれていたようで
帰りも兄の付き添いをしていただきました。


脳のCTを撮るのに
検査衣に着替えて
車椅子で待っていたのですが
薄着で寒いまま
長時間待たされたので
兄の機嫌がだんだん悪くなりました。
「お正月で仕方がない。」
と言ったら、
また病院の側に立つと批判します。
「外面のいい奴や。他人と僕とどっちが大事やねん。僕が大事ちゃうんか!」
「大事と違う。」
間髪入れずに本音を言ったら
しばらく黙っていました。
応えたようですが
本当だから仕方がありません。
「私は自分が一番大事や。」
第一、どちらが正しいかどうかに
他人か身内かは関係ありません。


それから、またまた、ボロボロに言われ出したので
離れた場所に移動したら、
「もう帰るぞ。ぐわー!」
と大きな声を出したので
スタッフの方々5人くらいが来られて
タオルをかけたり
検査を受けるように説得したり
大変でした。



話が長くてすみません。
はしょります。
そんなこんなで、夜は私の家に来たのですが
1月2日、うっとおしいから
いったん自分の家に帰らせたら
1月3日、また動けない、身体が痛い騒動。
仕方がないので
私が行って立ち上がらせました。
タクシーで帰ろうとしたら
兄はまた病院へ行くつもりです。
「なんでまた行くの?また行っても一緒やで。」
「この前は僕が大きな声を出したから、意地悪でちゃんと診てないねん。」
病院はそんなに暇じゃありません。
正月返上で働いてはるのに。
こういう考えの人間大嫌い。
とにかく、家に連れて帰りました。


この先、私はどうなるのだろう…
と考えると悲しくなって来ましたが
ゆっくり考えてみました。
兄の症状、よだれがひどくなって来た。
下を向いた時、下あごが小刻みに震えていた。
今までに無い症状。
クリニックの先生は「元に戻る。」と
力強く言ってくださった。
良くなるどころか、悪くなっている。
パーキンソン症候群の内の
何かを見つける検査をキャンセルしたから
その病気に薬が効いていないのか…


いろいろ考えて、
この症状の悪化はおかし過ぎる。
そうか、薬を飲めていないに違いない。
そう思ったので
薬を全部管理して(ゴミ屋敷から拾って)
1日の朝昼夜に分けて
小袋に入れて渡しました。
これまで薬は触らせてくれなかったのですが
だんだん認知機能も落ちて来ていると
自分でも分かっているようで
すんなり言う通りにしてくれました。


昨日の夜からやっている事ですが
透析の後、仕事に行って
「今日は自分の家にいる。ありがとう。」
と、元気な声の電話が夜にありました。
ホッとしました。
このまま面倒を看ないといけないのか
仕事も行けなくなるのかと
世をはかなんでおりましたが…
あ~、良かった。ホッと一息。



明日も兄は帰って来ますが
土曜日に息子が
スーパー銭湯に誘ってくれたので
楽しみも出来ました。


そうそう、今朝、ゴミを捨てに行った時
少したぶん年上の女性と
仲良くなりました。
私の正月不幸話がダイヤのエースなら
その方はその上をいく
ジョーカーを出されたので
「いざと言う時は助け合いましょう!」
とお友達になって貰いました。
この話はまた次に聴いてください。
では、おやすみなさいませ。