こういう老後になるとは思わなかった

「今をしっかり生きる」を心して。

人とのつながり。

おはようございます。
今朝の大阪は寒いです。
まだ暖房を入れていませんが
そろそろ入れないと過ごせないなぁと
思いかけています。
昨日帰って一番にした事は
冷蔵庫に入れた花がどうなっているのか
確認した事です。
開店祝いでペチって来たお花です。
ほったらかしにして
枯らしたのでは申し訳ないです。



ブロガー・ふかちゃんに知恵をもらって
お花を冷蔵庫に入れて置きました。
4日間家を空けましたが
冷蔵庫を開けてみると、美しいままでした。
バラは元々花びらが散っていたので
ぱらぱらと何枚か散りましたが
あじさいは生き生きとしています。
ダリア?も綺麗です。
元気なお花の姿を見て
ホッとしました。
嬉しかったです。
花を出した後の冷蔵庫からは
しばらく甘い香りがしていました。


今日は阪神淡路大震災の日ですね。
あの日、息子はまだ4歳で
何か手助けをと思っても、何も出来ない状態でした。
保育所に迎えに行く時間があります。
献血が必要ではと思い
職場の前の病院に行って
取り組んで欲しいと話したり
大阪にいて出来る事はないかと
日赤に問い合わせをしたり…
何か出来ないかと焦るばかりで
何も力になれませんでした。
悪友は足が丈夫なので
電車が動いている所までは乗り
後は歩いてボランティアに参加していました。
昨日も、悪友とも話したのですが
少し離れた大阪ではバザーをやっている光景に
神戸の人が傷ついた現実がありました。
私はその日は仕事に行ったのですが
次の日、施設にいる母と義母を安心させるために
とにかく顔を見せに行こうと思い
混み合って動かない道路に車を走らせました。
たくさんの支援に向かう車が走っていました。
2か所回って1日が終わりました。
支援車のじゃまをしただけで
何も出来ない自分でしたが
何も出来ない人間に出来る事は
普通の日常をまじめに暮らす事だと思いました。


最近、悪友の事を嫌いになりかけていたけれど
神戸から帰る時、確か青木という所からだったと思うのですが
「今から帰ります。」と、私に電話をして来ました。
無事に帰るよという連絡だったとは思いますが
たぶん、私の思いも身体に積んで
行ってくれたのだと思います。
25年経って、これを書きながら
今頃やっと気づきました。